2009年2月16日月曜日
若さ×年寄り
「チェンマイ」に戻って、ゆっくりとした時間を過ごす毎日。
今まで移動の連続だったが少しこの街に留まることにした。
この街は人の暖か味があり、何より居心地がイイ。
今の自分は何かしら考えることが多くなった気がする。
環境や空間が少し変わるだけで気持ちが整理され、次なる行動、アイデアが生まれたりする。
その時が一番気持ちイイ。
以前、NHKの番組でやっていた、横尾忠則氏がお寺に座禅を体験したときの話。
寺の住職に落ち葉を掃除しなさいと命じられ、横尾さんは掃除をしている際に、ふと思ったそうだ。
落ち葉が全て落ちるのを待ってから掃除したほうが効率はいいのではないかと。
落ち葉が落ちるたびに掃除することで道が綺麗になり「美」のことも考えたそうだが、
いつも目的や結果がないと物事はやらなかったそうだ。
今の自分もその考えと同じ。
ところが、住職に「やることに意味がある」と言われたのだと。
なるほどぉ~。
常に目的や結果を考えてはいけないのだと。
人はいつしか考え方などが変わり、年を取っていく。
落語家の柳家小三治さんが前に言っていたことを思い出す。
年齢が多い人が年寄りなのではない。
あしたに希望も不安もなくなってしまったら、若くてもそれは年寄りだ。
10代、20代でも、無気力にその日をこなしているだけということになれば、間違いなく年寄りだ。
たとえ、70代でも80代でも、あした何か良いことがないか、あした新しい発見がないか、あした素敵な人でも出てこないかな、と、あしたに希望、発見、冒険、そして不安など、それら「なにか」を感じていたら、それは若者だ。
自分の興味あること、マラソンでも、政治でも、仕事でも、旅行でも、料理でもいい。
「別に楽しみもねぇし、発見なんかしたくねぇ。ただこうやってじーっとして、お迎えが来るのを待っているだけだぁ。世の中何があったってオラ知らねぇ。」
なんて人は、もう人生お引取り願うしかない。
年を重ねていくほど、実に楽しいことが、いっぱい出てくるそうだ。
だから、年をとっていくことが楽しいと思うようになる。
年をとってきたある日ある時間から、突然ものの面白さがわかるようになるという性質のものではない。
若いときからものの感じ方、味わい方の感性が少しずつ磨かれ、貯えられてきて、パーッと一斉に花開くといった感じだそうだ。
そのため、今まで面白いと思わなかったものが面白く思えてくる。無関心でいたものなのに、とても興味が出てくる、ということが出てくるのである。
年を取るということは、予想に反して、実に面白いものであるようだ。
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